昔の写真とかを整理しようとひっぱり出してみると、その中に昔もらった年賀状とか手紙が入っていて、とてもなつかしく見ているとニューヨークからの2通のAIR MAILが出てきました。(私自身は手紙をもらった事を覚えていませんでした)
差出人はむかし福生に住んでいた時の友だちで、私の同居人の美大生高橋君の同級生でやはり福生の米軍ハウスに住んでいた正井君でした。
正井君は今でもニューヨークに住んでいてテキスタイルの仕事をしているみたいで、そのことは今年の3月に吉本君(吉本デザイン事務所)が去年ニューヨークで正井君に会った事を写真付きのメールで教えてくれました。
一通は1978年1月に私あてに、私が送った年賀状の返事としてきたもので、もうすぐ事情があって一時帰国するので会いましょうと書いてありました。
そして、もう一通は1977年11月に結婚する前の私の奥さんにバースデイカードを送ってくれていました。
現代ならパソコンや携帯電話でメールを簡単に送れるでしょうが、その時代は手紙を送る事が、遠く離れた友へのコミニケーションの取り方だったのです。
そして、メールはいつか忘れられてなくなってしまうと思いますが、手紙は捨てない限りは、本人が忘れていても残り続けるものなのだと思いました。
私はどちらかというと筆無精であまり手紙は書いていないと思うのですが、わたしのだした手紙もどこかで残り続けているのでしょうか。
きっとはずかしい文章なのでしょうね。
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