1972年高校を卒業して仙台から東京へ出てきた私は、阿佐ヶ谷美術学院の受験部でデッサンや平面構成などの勉強をしていました。
もともと人見知りだった私は、知らない人たちの中で自分から話しかけるとかは、到底出来る事ではなく、ただ黙々とデッサンをする日々が続いていたある日、隣でデッサンをしていた人が「君、ミック・ジャガーに似てるって言われない?」と私に話しかけてきたのです。
勿論ミック・ジャガーに似てると言われたのは初めてだったし、ローリング・ストーンズのレコードも1枚も持っていなかった私は、それからストーンズが気になり始めたのです。
でも以前から「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」や「サテスファクション」は好きな曲でした、最初にストーンズのアルバムでよく聴いていたのが写真下の「スティッキー・フィンガーズ」(1971年)だったのですが、なんといってもアンディ・ウォホールのジャケット・デザインが奇抜で衝撃的でした。
ジャケットのジッパーを外して中を見たい人はこちらへ。
このアルバムはジャケットだけ古道具屋で貰ってきたもので中のレコードは持っていません。
そしてストーンズのアルバムで最初に買ったのは写真上の「メインストリートのならず者」(1972年)でした。
いちばん気に入っているアルバムは左の写真の「山羊の頭のスープ」(1973年)でしょうね、なんといっても名曲「悲しみのアンジー」が入っています。
そういえばもうすぐ来日公演があるんですね、もう何度目の来日公演なのでしょう。
1973年に幻になった来日公演がありました、友達がその時貴重なチケットを持っていて、公演が中止になった時、チケットを払い戻そうか、記念にとっておこうか迷っていたのを思い出します。
それから17年後、ストーンズは初の来日公演を東京ドームで行います、私はチケットを手に入れた友達に誘ってもらい東京ドームに見に行く事ができました。
それまで見た、どのコンサートよりスケールの大きな、エンターティーメントに満ち溢れたコンサートでした、まさにロックン・ロールの王様「It's only Rock'n Roll」(1974年)です。
他に持っているアルバムは中央の写真の「Some Girls」(1978年)そしてアンディー・ウォホールがデザインしたもう一枚のアルバム「Love You Live」(1977年)がありました。
おっと、オチを忘れていました、ミック・ジャガーに似ていると言われて半年後、もっとミック・ジャガーに似てる人がいて、私はチャーリー・ワッツに似てるということなってしまいました。チャン、チャン。
いろいろ懐かしい思い出ですね。
投稿情報: ツネ2 | 2006-03-09 00:15
阿佐美時代は本当に懐かしい思い出です。
東京に出てきて最初に出会ったのが、阿佐美の面々だった事が、私にとってすごく幸運なことだったと思えます。
みんなに会いたいですね。
投稿情報: pine社長 | 2006-03-09 16:24
当時のアサビの受験部は他の予備校と違ってギスギスしたところが無くて、右も左もわからず田舎から出てきたばかりの人間をホンワカとした暖かい雰囲気で受け入れてくれた学園と呼ぶに相応しい学校でしたね。今はムサビの教授となった当時の講師の長澤さんが水張りの仕方も知らないわれわれに絶句しながらも丁寧に教えてくれたことを思い出します。夏期講習の打ち上げと称して地方から来た高校生10名ほどを引き連れて荻窪の居酒屋で騒いだこともありました。その高校生の大半が翌年の受験に失敗してアサビの受験部に舞い戻って来たほど居心地の良い学校だったんですね、ついでに当方ももう一年お世話になってしまいましたが、、。
投稿情報: kazu | 2006-03-10 10:21
荻窪の居酒屋は行った覚えがありません。
なるほど、それでなんとか桑沢デザイン研究所の2次募集に受かったのかもしれませんね。
たとえブログ上でも、阿佐美の3人が並んでいるとうれしくなってしまいますね。
他の阿佐美のメンバーにもコメントをしてもらいたいものです。
投稿情報: pine社長 | 2006-03-10 15:38
荻窪の養老の滝に行きました。
まだ日が明るく、そこまでは覚えています。
その後は覚えてない。
たぶん酔っ払っていたのでしょう。
僕が予備校2年、専門学校2年で中退。
いいところでした。
その後は放浪人生ですが。
今年から娘がアサビに入学します。
投稿情報: ツネ2 | 2006-03-10 18:16
むかし養老の滝ってありましたね〜
本当に飲みに行った人がもう1年お世話になっていますね。
それにしても娘さんがアサビに行かれるようになるんですから、我々は歳をとったわけですよ。
投稿情報: pine社長 | 2006-03-10 21:52